うつ状態から自殺へ

「情報商材」にはまってしまい、借金を増やしていったまではまだ良かったんです。
一番最悪だったのは、計4か月近くも無職でいたということなんです。

 

当時、毎日自宅にこもっていたせいで、仕事をするという意欲が全くなくなっていました。
ようは、仕事に行くことが面倒になっていたんです。

こうなってしまうと本当に人間って駄目ですね。弱いですね。
家族を養い、マイホームのローンを返済していかなくてはならないのに・・・。

 

こんな状態ですから、次第に貯蓄も底をつき、作ってしまったクレジットカードの借金返済もせまってきます。

そこで仕事に就き、給料の不足分はバイトでもすれば良かったんです。
あの時点ならまだ間に合っていたんです・・・。

 

すっかり腑抜けになり、心底腐っていた私は、あろうことか、更に借金をしてしまいました。
家の支払いやクレジットの支払いに充てるために、持っていた別のカードのキャッシング枠を使ってしまったんです。

 

世の中便利になったもので、コンビニに行き、ATMにカードを入れ、キャッシングのボタンを押し、必要な金額を打ち込めばお金が出てくるんです。

 

当時はまだ、今のように総量規制もありませんし、カードも数枚持っていました。

借りようと思えばいくらでも借りれたんです。
ばかな私は、必要な分だけではなく、さらに違う情報商材を買うためや、遊びに使うために借りてしまいました。

 

本当にマヒしていたんだと思います。
10万、20万というお金が、紙きれのように思えていました。

 

返済しなければいけない、借りているお金だという認識がなかったように思います。

 

やがて、手持ちのカードのキャッシング枠も使い切り(総額で200万ほどでした)、毎月の返済額もかなりの金額になってしまっていました。

その時点ではまだ、妻にはカードの借金のことは話していませんでしたが、働いてもいないのにお金を持っているわけで、今思えば気づいていたんでしょうね。

 

仕事もせず、毎日自宅でパソコンばかりいじっている私に、妻は次第に口もきかなくなっていました。
そして、ついには自宅のローンの支払いが滞ってしまったんです。

 

1ヶ月目は、督促の手紙に「翌月まとめて引き落とします」という内容でした。
しかし、2か月分ということは、約18万もの金額です。

 

「とにかく、どうにかしてお金を作らなければ」
あせった所で、もう借金もできません。仕事をしていないので収入は当然ありません。

 

そして、ついにはガスが止められてしまいました。
夜お風呂のお湯を出そうとしても、いつまでたっても水のままなのです。

ガス屋に電話したところ、「未納が続いたために止めました」と・・・。

 

翌日、1か月分だけでも支払えば使えるとのことで、一旦は使えるようになりました。
しかし、そのまた翌日に、今度は電力会社が自宅にやってきました。

 

「料金が未納なため昨日止めに来ましたが、子供さんが一人でいて対応したため、可哀そうでそのまま帰ったんです」と・・・。

 

これにはさすがにまいりました・・・。

 

子供がかわいそうで、自分が情けなくて。馬鹿な私は、ここでようやく我にかえったんです。
しかし、時すでに遅し。ついに、銀行の担当者が上司を連れて家に来たんです。

それまでも何度か、担当者とは電話で話していました。
担当者はやさしい人で、「滞納分は分割で返済してもらって、これからの分は毎月きちんと納めてください」と。

 

しかし、その日一緒に来た上司は違いました。
玄関のドアを開けた瞬間から、私の眼をにらみつけてきたのです。

 

そして、いかにも「このダメ人間が」という話しぶりや目つき(明らかな上から目線)で、
「今から3日以内に、滞納分と今月分を支払え。できない場合はすぐに自宅を差し押さえて競売にかける!」と、まさに最終通告のように言われました。

 

「終わりだ・・・。」そう思いました。

 

あの上司の言葉と顔。そして、あのときの情けなさと屈辱感は、いまだに脳裏に焼き付いています。

ガスを止められ、電気も止めると言われ、あと3日で家も取り上げられる。
自宅にはもう、親戚にもらった米がほんの少しあるだけで、ろくに食事もできない。
妻は口もきいてくれない。

 

この時点で私は、「うつ」状態になっていたんだと思います。
銀行から最後通告をされたあの日から、頭の中は「もう死ぬしかない」とそればかり考えていました。

 

銀行から督促に来たその3日後、支払いの約束の日です。
忘れもしません、真冬ではありましたが日差しが暖かく、とても気持ちのいい日でした。

 

私は、自宅にあったロープを車に積み込み、近くの山へ向かいました。
自殺を決意したんです。

 

お昼を回ったくらいだったでしょうか。途中、小学校1年生が下校をしていました。
当時私の子供は4年生でしたから、下校時間はまだ数時間後。

 

そこでふと、
「帰って私がいないと悲しむだろうな。」
「妻は帰宅するのが夜8時位だから、帰るまでお腹がすくだろうな。」

そうやって子供の事を考えだすと涙が止まらなくなってしまいました。

 

「今日はいったんやめにしよう」「帰って子供を出迎えてあげよう」そう思い引き返しました。

 

しかし、現実、もうどうしようもない状態です。このままでは、子供にろくにご飯もたべさせてあげられません。
その日に銀行からは手紙が来ており、1週間以内に差し押さえの手続きをするとの内容。

 

やっぱり、もう死ぬしかない。

 

幸い自宅もほかのローンも連帯保証人はついていないし、「私が死ねば済む話だ」
その決心は変わることは、変えることはできませんでした。

 

明日こそ、死んで楽になってしまおう・・・。

 

「私を救った司法書士」へと続きます・・・・・私を救った司法書士

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